釣りと料理と気になる話

正直、ジャンルは決めていません。しいて言えば「自分自身の興味があるものごと」でしょうか。魚釣りから、昭和のもの。鉄道に小説や漫画。気になったものから、順番に掲載できたらいいな、と考えています。何とか続けていけるよう、頑張りたいですね。

2017年02月


なかなかおもしろい内容です。
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信憑性が少し落ちますね(笑)。



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オマケで入れておきます。ちなみに私の結果はこんな感じです(笑)。
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ビジネスの原点はすべて温泉街で学んだ ジャパネット高田氏の「お金の使わせ方」(NIKKEI STYLE)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170216-00000008-nikkeisty-bus_all

ビジネスの原点はすべて温泉街で学んだ ジャパネット高田氏の「お金の使わせ方」
独立した当時の高田明氏(長崎県佐世保市の早岐店で)拡大写真

 通信販売大手ジャパネットたかた。前社長の高田明氏はテレビ通販王国を一代で築き、お茶の間の人気者ともなりました。朝から晩までテレビカメラの前に立ち続け、「伝える」ということを追究してきた高田氏。通販を手がける前、団体客の観光写真を15年間にわたって撮り続け、「1人の顧客に何枚も写真を買ってもらうには、どうすればいいのか」と工夫を重ねてきたことが、ビジネスの原点となったと振り返ります。

◇   ◇   ◇

 今回は私がビジネスの原点を学んだ初期の温泉街の話をしましょう。私は25歳の時にサラリーマンを辞めて故郷の長崎県平戸市に戻り、実家のカメラ店を手伝うようになりました。30歳の時に実家のカメラ店が県内の佐世保市に出した支店を任され、1986年、37歳の時に独立しました。一緒に仕事をしていた兄は実家のある平戸、弟は佐世保中心街、私は佐世保周辺という具合にエリアを兄弟ですみ分けたのです。

 その期間ずっとやっていたのが近場の温泉場での宴会撮影です。佐世保の三川内という場所を独立一号店に選んだのも佐賀県との県境だったからです。山を越えトンネルを抜ければ、嬉野温泉という全国にもその名を知られる温泉街があります。クルマで片道30分もあれば着く距離です。嬉野に40歳になるまで10年、毎日のように通い、ホテルや旅館で観光写真を撮っていました。

 平戸で5年、佐世保で10年、足掛け15年間も観光写真を撮り続けました。夜に宴会場の様子を撮影して店に戻って現像し、早朝またホテルに行って朝食会場でスナップ写真を販売するという生活です。雪などで私の到着が遅れ、団体客が次の観光地に出発してしまっていたら、次の行き先まで追いかけていって写真を販売するといったこともありました。

 もちろんカメラ店ですから昼間は店でカメラや写真フィルムを売り、お客さんが持ち込んだフィルムを現像していました。そして夕方6時ぐらいにホテルに向かうのです。振り返ると「よくまあ40歳までやれたな~」と感慨にふけることもしばしばです。
■1人で何枚も買ってもらうためにはどうすればいいか
ビジネスの原点はすべて温泉街で学んだ ジャパネット高田氏の「お金の使わせ方」
1986年に独立して開業した1号店「三川内店」拡大写真

 この時に今につながるプレゼンテーションのポイントなどをお客さんから学びました。観光写真を撮るというのは「写真を撮って売ればいい」だけでは済まないのです。まず俊敏さが求められます。宴会が始まって30分もたてば酒が回って人びとが立ち上がって、ばらばらになり始めます。それまでの30分間にどれだけスナップを撮るかが勝負になってきます。時間との戦いです。

 第2に「いい写真」を撮らないと買っていただけません。下手なカメラマンはお客さんに声をかけきれないから、お客さんが膳を見ている様子ばっかりを撮ってしまう。特にご婦人は顔をきれいに撮らないと絶対買ってくれないから、そんなポーズは売れません。

 だから私は声をかけたのです。「こっち向いて~」「ほら、こっち向いて笑顔をください~」って。講演などでこの時の経験で僕の声が高くなったって冗談を言うのですが(笑)、呼びかけられたお客さんがこちらに視線を向けた時がシャッターチャンスです。すかさずパチッと撮る。そんな写真は次の朝、必ず買っていただけました。

 現場でいい写真を撮らないと、絶対に買ってもらえない世界ですから、声かけのタイミングなどは15年間、一生懸命、工夫して自分なりのコツをつかみましたね。声をかけられない場合はうまく撮影できないことがほとんどでした。

 団体客に1人で複数買ってもらうためにはどうすればいいかということも自分なりに工夫しました。30人の団体で1人1枚しか買わなかったら30枚しか売れない。1人で2枚、3枚と買っていただくにはどうしたらいいかというと、カット数を増やして撮ればいいことに気づきました。

 例えば、1人で食べている人の周りに他の人を呼んでグループで撮ったり、配膳待ちの縦列をグループで撮ったり、とかです。朝見てみたら、自分の写っているカットがいくつもあれば、買おうという気がそそられるでしょう。それで30人でも60枚売れるということになるのです。

 もっと買っていただくにはどうしたらいいだろう? 出てきた答えが集合写真です。宴会に行く前に、ツアーの添乗員や宴会の幹事と交渉し、集合写真を撮る約束をするのです。「歴史とロマンの島 平戸」とかの文字看板を入れた見本の写真を持っていって関心を引きました。せっかく現像したのに売れないリスクももちろんあります。「残っても構いませんから撮らせてください」と頼んで撮影するんですが8割の人は買ってくれました。

 集合写真が8割売れて、スナップ写真が1人2カット売れ、30人の団体でも多い時には5万円の売り上げになったこともあります。ビジネスというのは、いい物を提供し、自分の頭でどの程度買っていただけるかと考えて結果を出していくというプロセスだということを知り、とてもいい勉強になりました。
■逆境のなかにも成長のヒントはある
ビジネスの原点はすべて温泉街で学んだ ジャパネット高田氏の「お金の使わせ方」
「観光写真の販売を通じて、顧客の属性や出身を基にマーケティングしていく術が身についた」という拡大写真

 商品の品質を上げたり、いい写真を創り出していったりする努力で結果はいかようにも変わってくる。だから「人口が少ないから商売が成り立たない」とすぐ諦めるのはおかしいのです。「日本は少子高齢化だから先がない」と短絡的に考えるのではなく、ビジネスというのはそんな環境の中にも成長のヒントがあるのではないかと考えるところに面白みがあります。30人の団体にいかに90枚の写真を売るかと考えている先に、突破する知恵が見えてくるものなのです。

 ツアー客は全国から平戸・佐世保に来られます。北海道、東北、東京、大阪、名古屋――。どこの地区の人が一番買うかという地域性やお国柄が見えてきます。「この地区の人はなかなか財布のひもが固いな~」といった経験はラジオ通販を始めた時にも役立ちましたね。

 同じ商品でも関西で紹介するのと、東北で紹介するのでは売れ行きが違う。東北でも秋田、宮城など県民性の違いで、そこには購買行動に違いが出る。そうしたことが温泉写真の営業で頭に入っていました。知らず知らずのうちにマーケティングの勉強をしていたのです。

 職業や団体での違いもある。一番写真を買われるのが戦友会でした。命をかけて戦った仲間だから一体感があって戦友との写真を大事にしてくれました。50人の団体で200枚、300枚と売れました。後ろ姿が少し写っているだけのカットでも買っていただいたことがあります。次に売れたのが婦人会でした。一方、売るのが難しかったのは公務員でした。

 そういう具合に顧客の属性や出身を基にマーケティングしていく術がいつの間にか身に付きました。これが通販の世界に入った時にプラスになりました。

 宴会場は1カ所で終わらず、1日に何軒も掛け持ちします。忙しい時には1日で4カ所ぐらいはしごして、店に戻って何百枚と現像したこともありました。当時の私はエネルギッシュだったのだろうと思いますね。若いからできたのでしょう。自分が頑張れば頑張るほど結果が出るから。とにかくやらなければいけないことがあるからやる。そんな調子でした。
■「嫌いなことはやらない」では成長はない
ビジネスの原点はすべて温泉街で学んだ ジャパネット高田氏の「お金の使わせ方」
「自分が今やっていることに意義を見いだすことが、人生で最も大切ではないか」拡大写真

 仕事を苦と思ったことはありません。最近、「苦労されたでしょう」とよく言われるのですが、「すみません。本当に一つも苦労したことがないのです」と返して相手の方にびっくりされることがあります。性格的なものもあるのでしょう。「今この瞬間」を一生懸命生き、そのうちにラジオ通販に巡り会い、店売りをやめて本格的にメディアで生きていく道を選ぶわけです。

 通販の威力に目覚めたのは地元のラジオ番組にたまたま出演した時の経験からです。ラジオで5分間宣伝しただけなのに、1万9800円のカメラが50台も売れたのです。当時の私の店の1年分の販売台数に匹敵しました。それが全国でなく、長崎県だけで売れた。ラジオに何回か出演するうちに全国のネットを作ろうと思い、カメラ店を弟に譲り、通販で生きていこうと決意しました。その後のことは以前お話した通りです。

 温泉街で学んだ商売の原点とは何か。何事にも、自分が今やっていることに対して意義を見いだすということが、人生では最も大事だということではないでしょうか。若い方に伝えたいのですが、「嫌いな仕事はやらない」では人間の成長はありません。配属先が自分の希望とは違うという理由で仕事が嫌いだと悩む人は考え違いだと思います。

 嫌いだというのは自分の食わず嫌いと同じです。入社して配属されて一生懸命やる人はその仕事を必ず好きになります。たとえば、ジャパネットの新入社員が希望の番組制作ではなく、広報や総務、経理に配属になったとします。「私は広報の仕事は分からない」「経理は知らない」と言っても一生懸命やっていれば、広報の役割とか、労務、総務、経理の役割とか会社にとってものすごく大きいものがあることに気づきます。

 だから、仕事というのは自分が打ち込んでいく中で、自分の内側から好きになっていくものです。世の中の新入社員のほとんどが、そんな風に希望ではない部署に配属されていくのが普通でしょう。与えられた仕事を「好き」にできるかできないか、本気でやれるかやれないか。心の持ち方によって、人生は大きく変わっていくのではないでしょうか。

高田明氏(たかた・あきら)1971年大阪経済大経卒。機械メーカーを経て、74年実家が経営するカメラ店に入社。86年にジャパネットたかたの前身の「たかた」を設立し社長。99年現社名に変更。2015年1月社長退任。16年1月テレビ通販番組のレギュラー出演を終える。長崎県出身。68歳

(シニア・エディター 木ノ内敏久)

 前回掲載「減収150億円! ジャパネットの『責任の取り方』」では、「危機管理のお手本」とまで称された顧客情報流出事件での対応はなぜ可能だったのか――その秘密を明かしてもいました。


「鳥貴族をつくった男」の知られざる悪戦苦闘(東洋経済オンライン)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170215-00157686-toyo-bus_all

「鳥貴族をつくった男」の知られざる悪戦苦闘

東洋経済オンライン 2/15(水) 6:00配信

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「鳥貴族をつくった男」の知られざる悪戦苦闘
鳥貴族創業者の大倉忠司氏(撮影:今井康一)拡大写真

不振の居酒屋業界において異例の成長を続ける鳥貴族。外食業界を30年以上にわたって取材してきた筆者がその正体に迫る短期集中連載の第2回は、鳥貴族のビジネスモデルを作り上げた創業者、大倉忠司氏の半生を追う。(編集部)
第1回:「鳥貴族」がワタミをついに追い抜いた理由(2017年2月14日配信)

■飲食業の面白さに目覚めるきっかけ

 鳥貴族創業者の大倉忠司は、1960年に中小企業の街、大阪府東大阪市で生まれた。生家はブリキ玩具の「型」を製造する町工場だった。両親と2歳上の兄の4人家族で、機械の音や油のにおいに囲まれて育った。

 高校2年生の16歳のとき、ビアガーデンでアルバイトを始め、2年間通った。社員からまじめな仕事ぶりが認められ、焼き鳥とおでんの部門を任されたのが飲食業の面白さに目覚めるきっかけとなった。高校を卒業後、調理師専門学校で1年間学んだ。1979年に一流ホテルのイタリアンレストランに入社した。

 大倉が焼き鳥専門店チェーン「全品280円均一 鳥貴族」を開発した直接のきっかけは、このイタリアンレストランでウエーターを務めていた頃に、地元の東大阪市の「全品230円均一」の炉端焼き屋によく通ったことだ。

 大倉は居酒屋が好きだった。その店はお通しなしの明朗会計。低価格の割には高品質だった。大倉は飲料・フードメニューを注文するとき、原価率はどれが高くてどれが安いかと頭の中で考えてオーダーするのが楽しかった。「自分が店をやるときもこういう低価格・均一料金の店をやりたい」と思った。

 大倉はホテルのレストラン勤めを3年間で辞めた後、「やきとり大吉」(ダイキチシステム、本社・大阪市)のフランチャイズチェーン(FC)オーナーが大吉から独立し、「焼鳥道場」を開業したときに誘われて、1982年ごろから3年近く焼き鳥屋で修業した。

25歳のときに第1号店を開業する

 ダイキチシステムは独立開業を希望する人に「大吉流ノウハウ」を3カ月間研修させた後、加盟金150万円で開業を支援するFC方式だ。焼き鳥専門の単一業態として全国展開する。「自分自身が汗を流して働く生業(なりわい)商売」なので、店は10坪20席の小型店で、家賃は12万円がメド。投資額も少なくて済む。店長が厨房から1人で店を全部見渡せ、最低2~3人で運営できるというのが標準的な店づくりだ。

 大倉は元FCオーナーの下で店舗開発・運営、焼き鳥を焼くなど焼き鳥屋経営のすべてを学んだ。「焼鳥道場」で修業したことが、大倉の「鳥貴族創業の原点」である。

■第1号店「鳥貴族 俊徳道店」の開業

 1985年、大倉は25歳のとき、150円、250円、350円の3本立て均一料金の焼き鳥専門店「鳥貴族 俊徳道店」(約9坪、27席)を個人創業した。立地は近鉄大阪線の乗降客数の非常に少ない、俊徳道駅前商店街で、鳥貴族の第1号店である。

 なじみの「全品230円均一」の炉端焼き屋を参考にして、飲料・料理メニューを開発した。総投資額1200万円。自分の貯金200万円と、父親が家を担保に借金して1000万円を用意してくれたのが元手だ。最初は全品250円均一にしようとしたが、ビールの原価率が200円程度もして250円均一では赤字になると判断、350円均一メニューを加えた。もちろんお通しなしの明朗会計だ。

 当時の焼き鳥屋といえば赤提灯に縄のれん、炭火で団扇(うちわ)を使って焼き鳥を焼くので店内は煙がモーモーと充満した。店はカウンター中心で、客は中年の男たちばかり。大倉は中年男のたまり場になるような焼き鳥屋ではなく、若い男女が来店できる「明るくオシャレな焼き鳥屋」を目指した。当初ガス焼き台で焼いていたが、電気グリラーに切り替えた。

 大倉が価格破壊の焼き鳥屋で勝負を懸けたのは、居酒屋市場の中では焼き鳥屋の市場がいちばん大きく、成功する確率は高く、チェーン展開しやすいと考えたからだ。

 大倉は読書家だった。焼き鳥屋を始める前、ダイエー創業者の中内功(力=突き抜けない)の流通革命に魅かれ、中内の著作をすべて読んだ。中内の著作を通し価格破壊、創造的破壊、そして標準化、単純化、専門化して直営・FC方式で店舗を増やしていくというチェーンストア理論を学んだ。

 中でも大倉の人生を左右するのが、『わが安売り哲学』(1969年刊)であった。中内は、「メーカーから価格決定権を奪い返す」と宣言した。大倉は中内の流通革命論に身震いするほど感銘を受けた。そして大倉は中内の流通革命論を焼き鳥屋で実践しようと考えた。それが価格破壊の低価格均一業態であった。大倉は鳥貴族の第1号店を出したときから100店舗、500店舗、1000店舗のチェーン店を創ろうと思っていた。顧客本位、薄利多売のビジネスモデルを構築すれば実現できると確信していた。大倉のこの志の高さこそ、鳥貴族が成功した最大の要因である。
閑古鳥が鳴く日が続く…

 とはいえ、大倉が開業した第1号店の「鳥貴族 俊徳道店」は大家が、「誰が何をやってもはやらない」というほどの三流立地だった。家賃が月4万3000円と安いのが取り柄だったが、よほどインパクトのあるメニュー提案をしなくては、集客は難しかった。大倉は「鳥貴族 俊徳道店」に価格破壊のPOP広告を貼って、「居酒屋革命」を宣言した。「焼き鳥屋で世の中を明るくしたい」「焼き鳥屋で世の中を変えたい」と願ったのである。

 夢は大きかったが「150円、250円、350円の3本立ての均一価格」には損をしたくないという思いがにじみ出ていた。その結果、顧客吸引力が弱く、閑古鳥が鳴く日が続いた。開業から1年数カ月間は倒産と隣り合わせの切迫した状態が続いたのである。

■マージンミックスの考え方を導入

 大倉をこのとき救ったのが清宮勝一(故人)著の『居酒屋ビッグ・ビジネスへの戦略発想 外食産業のニューリーダーが初めて明かす』(1985年4月刊)であった。清宮は居酒屋「村さ来」(現ジー・テイスト傘下)の創業者で日本料飲コンサルタンツ社長であった。大倉を思想的に支えたのがダイエー創業者の中内の著作集であったとすれば、店舗運営面のヒントを与えたのが清宮であった。清宮はこの著書でマージンミックスの考え方を紹介した。

 清宮は1973年に東京・世田谷区経堂に居酒屋「村さ来」1号店を開業した。アイデアマンの清宮はレモン、グレープフルーツ、オレンジなどシロップで味付けした酎ハイ(焼酎ハイボールの略)を多数開発した。そして原価率の高いビールを原価で売って損を出しても、原価率の安い酎ハイを売って儲けるやり方を編み出した。「それで利益が出なくなったらビールは値上げせずにお通しで100円取れ!」というのが清宮の考え方だった。

 清宮は飲料・フードメニューのトータルで利益を出すという当時としては画期的なマージンミックスの方法を実践した。こうして「村さ来」は「イッキ飲み」に代表される酎ハイブームをつくった。これに洋風居酒屋「つぼ八」などが加わり、全国の居酒屋を巻き込んだ空前絶後の居酒屋ブームが起こった。「村さ来」は最盛期FC中心で全国に960店舗展開した。

 「村さ来」が破綻したのはFC本部が独立者の信用保証をするなど、銀行から無理な借り入れを重ねたからだ。1991年のバブル崩壊を引き金に「村さ来」は経営不振に陥った。「村さ来」はその後経営権を売却しながら存続、現在はジー・テイスト傘下で営業を続けている。

 大倉は清宮の著書に触発され粗利益率の高い商品と低い商品とを組み合わせて販売し、一定の粗利益率と客単価の確保を狙うマージンミックスの考え方を導入した。大倉はこのときから、儲けようという欲求より先に「お客様が喜ぶメニューづくり」に全力を傾けた。大倉は国産新鮮鶏肉を店内で串打ちしていたが、従来の焼き鳥店が1本25グラム、原価率は28%前後で提供していたのに疑問を持った。国産ブロイラーの新鮮鶏肉は大きめに串打ちしたほうがジューシーでおいしかったからである。
「成功の扉」を開く

 大倉はそれまで焼き鳥を32グラム程度で提供していたが、さらに儲けを削って60グラムで提供することに決めた。原価率は35%から48%にハネ上がり利益率は大幅に下がったが、三流立地で家賃が安いのが救いだった。また、儲けが減る分は自分の給料を減らせばよいと考えた。

 こうして大倉は「鳥貴族 俊徳道店」の創業1年後の1986年に150円、250円、350円の3本立て均一料金と決別し、ビールも含め「全品250円(税抜)均一」に業態転換、勝負を懸けた。大倉は飲料・フードメニューすべてのマージンミックスで少しでも利益を確保すればよいと、腹をくくった。結果的に大倉のこの決断が倒産寸前の鳥貴族を救ったのである。

 大倉が原価率を48%まで上げた国産新鮮鶏肉の焼き鳥は、質・量ともに顧客に満足感を与えた。「全品250円均一」――低価格・高品質の鳥貴族の評判は顧客から顧客へ口コミで広がり、リピーターや新規の客が押し寄せた。大倉はマージンミックスを導入することで、“成功の扉”を開いたのだ。

 大倉はこのときの成功体験から、ライバル店や同業他社をいっさい意識せずに「お客様歓喜だけを追求」し、鳥貴族のビジネスモデルを創ってきた。参考にするのはコンビニエンスストア(CVS)とか、低価格イタリアンレストランのサイゼリヤなどである。

 ただし、原価率が非常に高く薄利多売のビジネスモデルであったので、店舗数が100店舗を超すまでは規模の経済が働かず、悪戦苦闘したという。挫折してもおかしくはなかった。

■27年間「280円均一料金」を守る

 大倉は1989年の消費税3%導入を契機に、「全品280円均一」に値上げした。それから、キリンビールが1998年に発泡酒「麒麟淡麗〈生〉」を新発売、飲食店向けに「樽生」を発売すると、いち早く「淡麗〈生〉700ml」(現在はサントリー「金麦生樽700ml」)を飲料メニューに導入し、看板メニューにした。そして2002年には一般の3~4倍もある名物焼き鳥「貴族焼(むね・もも。ネギ付き1本90グラム=1人前2本)」を開発し、キラーコンテンツとした。鳥貴族は開店前から行列のできる超繁盛店に「化けた」のである。

 1989年以来消費税は5%、8%と値上がりしたが、大倉は今日まで27年間「280円均一料金」を守ってきた。

 参考までにいえば、現在、鳥貴族の食材&飲料の原価率は35%である。1985年の創業期と比べると規模の経済が働き、約13%ダウンしてきたという。そして、以下は2016年11月時点(490店舗台)で鳥貴族が「280円均一」で一晩に販売した全店の飲料の数量である。日本の飲食店チェーンの中ではトップクラスではないだろうか。
一晩の販売数量は

 まず、樽詰め生ビール「ザ・プレミアム・モルツ」(380ml)と、第3のビール「金麦生樽」(700ml)を合わせた杯数は、6万8000杯であった。また、「金麦生樽」の最高販売量を記録したのは、「鳥貴族 出町柳店」(京都市左京区、99席)で20ℓが約58本であった。さらに「角ハイボール」と「ジムビームハイボール」は約2万1000杯であった。

 鳥貴族の客層は20~30代、男女の学生やビジネスパーソンが主体で繁華街などの繁盛店で、回転数は2.1回だった。大倉は飲料・フードのレギュラーメニューと春夏・秋冬の季節メニューをつねに見直し、問題があれば差し替えたり、ブラッシュアップしてきた。それは半永久革命的な取り組みであり、鳥貴族の「280円均一」メニューは、もはや競合他社にはまねできないレベルにまで昇華してきている。

 大倉は昨年から「280円均一を守ろう」プロジェクトチームを立ち上げた。そのうえで今年10月からスタートした食材の100%国産化、人手不足からくる人件費高騰の問題などコストアップ要因に対応するために、生産性の向上に取り組んでいる。

 大倉がこう言う。

 「客単価2000円に甘えずに生産性を向上させ、280円均一料金を守っていきたいと思っています。なお、以前は『全品280円均一』と表記していましたが、消費税増税への対応もあり、『全品280円(税抜)均一』という表記に改めました。将来、消費税が8%から10%に上がったとしても『280円均一』をできるかぎり守っていく方針に変わりはありません。そのためにはもっと生産性を高め、規模の経済を発揮する必要があります。出店加速のために大手ファストフードから事業部長クラスを3名採用したほか、メーカーの元工場管理者をコンサルタントに採用、今期から厨房改革プロジェクトを立ち上げ、最適の厨房開発に取り組んでいます」

■生産性の向上、効率経営の追求

 大倉はこれまでも生産性の向上に努めてきた。生ビールはボタン1つですぐに適量が注げるビールサーバーを導入している。また、焼き鳥は創業して間もなくから炭火焼のこだわりを捨て、電気グリラーを導入した。導入後も厨房機器メーカーと協力して、つねに改良を繰り返してきた。

 大倉はすでに貴族焼など焼き鳥の注文はオーダープリンタだけではなく、キッチンモニターにも表示される最新の仕組みを導入した。また焼き鳥を焼くグリラーは遠赤外線を活用、最新改良型は燃え上がらないシステムで、焼き鳥がちょうどよい焼き加減で仕上がる。
余力を活用し、もっと接客に力を

 大倉は一方では店舗運営改革のためにタッチパネル導入のテストを行っている。タッチパネル式のオーダーシステムを繁華街の多忙な店(70~130席)に順次導入し、ピークタイム時の営業人員を減らす方針だ。100席以上の大型店で従業員2人、中型店で1人減らすことが可能だ。といっても店舗当たりの正社員を減らすわけではなく、あくまでもピークタイム時の営業人員を減らし、効率を上げることが目的だ。タッチパネル導入によってできた余力を活用し、「もっと接客に力を注ぎたい」という。今期に100店舗をメドに導入する計画である。

 大倉は低価格イタリアンレストランのサイゼリヤ、および日本マクドナルドをベンチマークしている。店舗運営では「QSC」(Q=クオリティ:品質、S=サービス:接客、C=クレンリネス:清潔・清掃)に加え「T」(T=タイム:提供時間のスピード化)を重視している。

 鳥貴族はフードメニュー65品目、飲料メニュー75~80品目程度に絞り込み、効率経営を心掛けている。また、釜飯などの食事メニューも充実させ、若者から中高年、ファミリー層まで全世代を取り込もうとしている。

 日常づかいできる店づくりが目標だ。最近ではロードサイド型の「鳥貴族&ファミレス」業態に挑戦。2016年11月の500店達成に続き、出店ペースを加速。2021年には1000店舗体制の構築を視野に入れる。

■非効率でも串打ちはやめない

 生産性の向上、効率経営の追求と言いながら大倉は、一方では店舗での串打ち(鶏肉やネギなど具材を串に刺すこと)を決してやめない。これをやめれば営業利益率は3~4%は上がると指摘されている。だが、大倉は「非効率でコストアップでも続けないと鳥貴族らしさが失われる。焼き鳥は串打ちという最後のひと手間を加えることで本当においしくなる」と絶対に妥協しない。大倉は「串打ちはチェーン店の脱チェーン店理論です」と苦笑する。

 大倉は鳥貴族の厨房革新と店舗運営の情報革新によって生産性を高め、「280円均一」のビジネスモデルをさらに進化させようとしているのである。


現在、アニメ映画は大豊作の予感。「君の名は。」を見たら、ぜひ「この世界の片隅に」を観てください!




"「君の名は。」予告" を YouTube で見る
https://youtu.be/k4xGqY5IDBE

"映画『この世界の片隅に』予告編" を YouTube で見る
https://youtu.be/kczb7IJJg0g


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